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そこで、1年間通して主だった記念日や行事をまとめてみました。 中にはイベント的な要素のない記念日や行事も含まれるかもしれませんがご参考までに見てくださいね。
年の始まりである1月1日を表す言葉として、「元旦」や「元日」があります。どちらもよく使う単語ですが、二つの意味の区別、意味の違いをご存じでしょうか。 「元旦」とは、1月1日の日の出~お昼まで(午前中)の時間帯のこと、そして「元日」とは1月1日自体のことを指します。
西洋式の商慣習が普及する以前は、1月2日に普段の仕事を形だけ行い、その年の労働の安全や技能の上達を願うならわしがあった。農村では田畑に鍬を入れたり、縄作りの作業を始め、田の神を祀って米や餅などを供えた。山村では山の神をまつり、木の伐り初めを行った。漁村では、船霊をまつって舟の乗り初めを行った。商家では、初売や初荷が仕事始めに当たる。
七草は、早春にいち早く芽吹くことから邪気を払うといわれました。そこで、無病息災を祈って七草がゆを食べたのです。古くはまな板の上で、草をトントン叩いて刻むその回数も決められていたとか。こんな、おまじないのような食べ方もすてきですが、実はこの七草がゆ、とても料理にかなった習慣です。 七草はいわば日本のハーブ、そのハーブを胃腸に負担がかからないおかゆで食べようというのですから、正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはちょうどよい食べ物です。 1月15日 青年育成の日
青少年の健やかな成長を願い、地域ぐるみで子育てを支援するために、子ども会活動や地域活動への積極的な参加とともに、家庭や地域における様々な取り組みが地方自治体などで行われています。 成人の日(第二月曜日) 成人の日は大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としている。この日には、各市町村で新成人を招いて成人式が行われる。 2022年4月1日から成人対象者が18歳に変更されたが、高校3年生中心で、就職・進学・部活動で忙しく、参加が難しい対象者が多いことから、同年3月31日以前の成人対象者だった20歳を維持、「20歳の集い」として開催する自治体が殆どである。 1月27日 求婚の日
1月27日は「求婚の日」です。1883年(明治16年)のこの日、日本で初めて新聞に求婚公告が掲載されたことに由来しています。求婚広告は、中尾勝三郎という人によって伊勢新聞および三重日報に掲載されました。「先頃女房を離縁して不自由勝ゆえ、貧富を論ぜず、十七歳以上二十五歳にて嫁にならうと思ふ物は照会あれ」という広告を出したところ、近隣の女性が応募しめでたく結婚に至りました。求婚はプロポーズともいい、この日と関連する記念日に全日本ブライダル協会が定めた6月の第1日曜日の「プロポーズの日」があります。 1月31日 愛妻の日
1月31日は「愛妻の日」です。群馬県に本部を構える日本愛妻家協会によって制定。日付は「1(英語のI)31(妻)」の語呂合わせから決定しました。
「妻というもっとも身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」という理念の元発足された日本愛妻家協会は、「日本独自の愛妻家という文化を再生すること」「絶滅が危惧される愛妻家の生態を調査し保護育成すること」「愛妻家だけもつ知られざる倦怠感削減の知恵を世の中に広めること」を理念としてさまざまな活動を行っています。 2月2日 夫婦の日 この日にはイベント「夫婦の日の集い」が実施され、自作の『夫婦賛歌』の曲を披露するなどの活動が行われる。「Couples Day」として国際的にも定着させて、仲の良い夫婦を増やすことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。夫婦(ふうふ)とは、適法の婚姻をした男性と女性。「夫婦」の漢字は「ふうふ」の他に「めおと」や「みょうと」とも読む。男性を夫(おっと)と呼び、女性を妻(つま)と呼ぶ。
2月3日 節分の日
本来、「節分」というのは2月に行う行事のことを指しているのではありません。「節分」とは、季節の節目である「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことを指しています。それゆえ、実は「節分」は年に4回あるんです。中でも立春は、旧暦の1年の始まりにあたる日であり、厳しい冬を乗り越えて春を迎えることから、「節分」の中でも特にめでたい日とされてきました。そのため、立春の前日にある「節分」は今でいう大晦日のことを指すように。大晦日に1年の邪気や悪いものを祓い、清めた状態で新しい1年を迎えるための儀式として行われるようになったのが、豆まきなどの「節分」の行事です。
2月14日 バレンタインデー
キリスト教圏の祝日。主に欧米で、毎年2月14日に行われるカップルが愛を祝う日とされている。家族や親友などと祝う人もいる。 世界 1797年にあるイギリスの出版所が「青年のバレンタインライター」という本を出版した。その本には若い恋人が使うことのできる多くの感傷的な詩が纏められた。印刷会社は詩とスケッチを含む数の限られた絵葉書を印刷するようになった。そして、1835年に英国では6万通のバレンタイン・カードが郵送された。1840 年に郵便切手が発明され、ローランドヒル卿の郵便改革も開始されたため、郵便料金が引き下げられ、郵送されるバレンタイン・カードの数が増加した。一応、切手の発明のわずか 1 年後に 40万通が郵送され、個人性にちょっと欠けていてもより簡単なバレンタイン・カードの送付習慣になった。 これにより、匿名のカードの交換が初めて可能になり、それは、極端に潔癖で堅いビクトリア朝時代にも色っぽい意味をそそる詩が突然出現したことの理由となったと考えられる。
19世紀以降、手書きの記事は大量のグリーティング・カードに代わった。 19世紀半ばのバレンタイン・デーの商売は、さらに米国で商業化された祝日の前兆となった。1868 年に英国のチョコレート会社「キャドバリー」は、バレンタイン・デーのために、装飾の施されたハート型の「ファンシー ボックス」というチョコレートの入っている箱を発売した。 詰め物をしたチョコレートが入った箱は、すぐに休日を連想させるようになった。 20世紀後半には、カード交換だけでなく、宝石などあらゆる贈答品の交換も行われるようになった。 日本 1958年(昭和33年)ごろから流行した。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。
戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。毎年2月に売り上げが落ちることに頭をかかえていた菓子店主が企画を発案したと云われている。「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったので、女性から男性に贈るというキャッチコピーに変えると徐々に流行りだした。
2月22日 世界友情の日
ボーイスカウト・ガールスカウトの創始者ロバート・ベーデン=パウエル卿(B-P)夫妻の誕生日が同じこの日であることにちなんで、1963年(昭和38年)のボーイスカウト世界会議で制定し、1965年(昭和40年)から実施。人間関係を国際的に深めていくことが目的。「国際友愛の日」ともいう。ベーデン=パウエル卿は、イギリスの軍人、作家。ボーイスカウト(Boy Scout)はスカウト運動に参加する、通常10歳から18歳の少年少女のことである。イギリスのブラウンシー島に20人の少年たちを集めて8日間の実験キャンプを行ったことが、ボーイスカウト運動の始まりとなった。ベーデン=パウエル卿は南アフリカにおける従軍経験からこの運動の着想を得ていた。仲間たちと自然の中で遊びながら、いろいろなことを身につけて、より良き社会人を目指す活動である。ボーイスカウトでは、この日に近い活動日に創始者である彼への敬意を表すため、B-P祭という団集会をする慣例がある。
猫の日 ネコの日は、日本だけではなく世界各地で制定されています。 以前マレーシアに行った際、クチンフェスティバル(毎年8月に行われる猫祭り)について教えてもらいました。「クチン」とはマレーシア語で「猫」を意味します 2月22日は日本の猫の日。猫の日(ねこのひ)は日本の猫の日実行委員会が1987年に制定した記念日であり、2月22日に定められている。 猫の日は世界各国で制定されており、ロシアは3月1日、アメリカ合衆国は10月29日である。動物愛護団体・国際動物福祉基金が決めたInternational Cat Dayは8月8日。ヨーロッパの多くの国がWorld Cat Dayとしてる日は、2月17日である。 3月3日 ひな祭り (桃の節句)
旧暦3月における始めの「巳の日」は「上巳(じょうみ・じょうし)」と呼ばれます。古代中国では、この時期に「上巳節(じょうみ(し)せつ)」という節目の日があり、川で身を清めて邪気を払う風習がありました。所説あるものの、この風習が日本に伝わった際、奈良・平安時代よりなされていた「人形(ひとがた)流し」という厄払いの風習と結びつき、さらに平安貴族の幼児の遊びである「ひいな遊び」と組み合わさって、ひな祭りの形となったいわれています。
もともとは邪気を払うために禊(みそぎ)やお祓(はら)い、お供えをする日でした。老若男女問わず健康を祈願するお祭りとされていた桃の節句が女の子のお祭りになったのは、江戸時代ごろからとされています。
江戸幕府が祝祭日とした5つの節句のうち、5月5日の「端午の節句」が男の子のお祭りとして浸透したのに対し「桃の節句」も女の子のお祭りとして徐々に広まっていきました。 3月3日 結納の日 全国結納品組合連合会(全結連)が結納品の素晴らしさをPRするために制定。日付は、結婚式に付き物の三々九度と、おめでたい陽の日が重なる日であることから。
結納(ゆいのう)とは、将来的な結婚(婚約)の成立を確約する意味で品物などを取り交わす日本の習慣。「結」んで「納」めるという字のとおり、両家が親類(親族)となり「結」びつくことを祝い、贈り物を「納」め合う。一般的には新郎家から、新婦家へ、結納の品を納める。本来は帯や着物地などに縁起物を添えて贈るが、現代では結納金や婚約記念品(指輪や時計)を贈ることで結納を済ませる事が多い。結婚式の3~6ヶ月前に行うのが一般的。
3月8日 国際女性デー 国際女性の日(3月8日)は、国連により1975年に定められました。 女性たちが、平和と安全、開発における役割の拡大、組織やコミュニティーにおける地位向上などによって、どこまでその可能性を広げてきたかを確認すると同時に、今後のさらなる前進に向けて話し合う機会として設けた記念日です。 3月9日 ありがとうの日
3月9日は「ありがとうの日(ありがとうを届ける日)」です。2006年に設立した特定非営利法人・HAPPY&THANKSによって制定されました。同団体は、「HAPPY&THANKS」をコンセプトに人生育成を行い、教育事業や社会活動によって心の成長・人材育成・社会発展を目指しています。
3月14日 ホワイトデー 日本で生まれた習慣 ホワイトデー ホワイトデーの発祥ははっきりしていて、1978年に全国飴菓子工業組合がバレンタインデーのひと月あとの3月14日をキャンディーをお返しする日と決めたことと、老舗の和菓子屋さんが女性雑誌の投稿をヒントに「マシュマロデー」として発案したのが最初になります。 日本以外ならお隣の韓国にもホワイトデーがあるそうです。 最近の韓国ではホワイトデーがエスカレート、チョコをもらってないのに男性からアタックすることもあるとか。さすが、日本と比較すると情熱的なお国柄ですね。 3月14日 国際結婚の日 1873年(明治6年)のこの日、明治政府が日本で初めて国際結婚を認めるとの太政官布告を出した。 1872年に英国で行われた長州藩のイギリス留学生・南貞助とイギリス人女性ライザ・ピットマンとの結婚が翌1873年6月3日に日本政府太政官に許可されたことで、これが日本における法律上の国際結婚第一号であるとされる。 3月21日頃 春分の日
春分の日は、3月20日(水)。太陽は赤道上にあり、地球のどこにいても昼と夜の長さが同じになる日だ。しかし、厳密にいうと実際には昼のほうが少し長いそう。 この日は国民の祝日で、戦後の1948年に公布、施行された「国民の祝日に関する法律(祝日法)」により制定。祝日法上の春分日は毎年3月20日~21日ごろのいずれか1日とされており、実際には日付が指定されていない。祝日法の春分の日の項目をみると、太陽が春分点を通過する瞬間が「春分」と定義され、春分を含む日のことを「春分日」とし、「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされている。
春の彼岸の中日(春分の前後1週間) 春のお彼岸は「春分の日」を中日として前後3日間。 この計7日間が「お彼岸」の期間とされています。 現代日本におけるお彼岸は、主に「お墓参りやお供えを通してご先祖様を供養する期間」として考えらています。 現代における「彼岸」の読み方は「ひがん」です。元々「彼岸」という言葉の語源はサンスクリット語の「paramita(パーラミタ)」で、日本においては音写語で「波羅蜜多(はらみた)」と表記されました。 「波羅蜜多」の漢訳は「至彼岸(とうひがん)=彼岸に至る」になることから、「彼岸」は「悟りの世界(お浄土の世界)へと辿り着く」という意味になります。 3月 卒園 卒業 この時期は、全国各地で卒業式が行われています。この卒業式を調べてみると日本での歴史は1872年の学制の施行に伴い各学年ごとに試験修了者に対して卒業証書を授与したことがはじまりだとされています。明治10年頃になると現在のような形の儀式として定着したといいます。 卒業式は教育課程を修了したという認定の証であり、そのお祝いをする式典です。 式典で卒業証書を授与することを卒業証書授与式と呼ばれ、それが短縮されて卒業式になったといいます。それに「業」は「学問、技芸」を意味し、「卒(そつ)」とは、「おわる、おえる」という意味になるといいこの二つを合わせ学問をおえるになるそうです。 4月1日 新学期 新入学 入学は、日本では一般に桜が咲く4月、春の行事と考えられているが、欧米諸国や中華人民共和国では、入学は9月、秋の行事であり(同様に、南半球の国も現地で秋に当たる2~3月頃の入学が多い)、また2学期制が一般的である(前期と後期に分かれていて冬休みと夏休みが長めに取られていて春休みはない)。欧米の大学は、夏冬学期制で、春からでも秋からでも始められるのだが、初めの入学は9月というのが一般的である。暖かい時期に試験などが行なわれるため、体調を崩して困るようなことが少ないといわれる。 4月10日 女性の日 4月10日は、我が国で女性が初めて参政権を行使した日です。 今からちょうど70年前の昭和21年4月10日、戦後初めての衆議院議員総選挙が行われ、約1,380万人の女性が初めて投票し、39名の女性国会議員が誕生しました。 4月14日 パートナーデー 「パートナーデー」は、4月14日。 1998年(平成10年)に、佐賀県佐賀市が制定した記念日 です。 2月14日のバレンタインデー、3月14日のホワイトデーに続き、その1ヵ月後となる4月14日を性別や年齢を問わず感謝を伝える日としています。 4月22日 よい夫婦の日 「よい夫婦の日」の意味・由来とは? 4月22日は「よい夫婦の日」です。 「よ(4)い夫婦(22)」の語呂合わせから 。 1989年(平成元年)11月の国連総会で、家族に関する諸問題への関心を高めるため、「国際家族年」と定めたことをきっかけに、講談社が1994年(平成6年)のこの日を記念日にしたとされています。 毎年、1年間で話題になった著名人夫妻へ「よい夫婦の日 ナイス・カップル大賞」を送るという講談社が主催するイベントが実施されている。 4月27日 悪妻の日 紀元前399年のこの日に毒杯を飲んで自殺した古代ギリシアの哲学者ソクラテス(紀元前469年頃~紀元前399年)の妻・クサンティッペ(生没年不詳)が悪妻として有名であったことにちなむ。
クサンティッペを悪妻とするエピソードとして、ある時クサンティッペはソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせた。しかし、ソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語ったという。
他にも、ソクラテスが語ったとされる言葉として、「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」があり、クサンティッペが口やかましい妻だったという話や、「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」などの名言が残っている。
5月5日 端午の節句 「端午の節句」は、毎年5月5日に、男の子の誕生を祝うとともに、その健やかな成長を祈る行事です。 古代中国では、月と日に同じ奇数が重なる日を忌み嫌い、その日には邪気を祓う様々な行事がありました。 「端午」とは「はじめの午の日」を意味し、もともとは特に五月に限った日ではありませんでしたが、午の日の「ウマ」という字は「ゴ」とも読むため、ウマという字の音が五月五日の「五」、数字の「五」の音と混同されていきました。 その影響を受けた日本でも、五月五日に端午の節句として厄除けの儀式を行うようになりました。 江戸時代からこの日は公儀の祝日として定められていました。 武家では跡継ぎの男子の誕生は最大の慶事であったため、端午の節句に兜や幟旗を飾って盛大に祝い、庶民もまたそれに倣いました。 こうして、特に男の子の誕生を祝い、その健やかな成長を祈る行事として普及しましたが、1948年にはこの日を国民の祝日「こどもの日」(こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する)として改めて制定されました。 5月 母の日(第2日曜日)
毎年5月の第2日曜日は「母の日」です。日本やアメリカなど、世界各国で同日を「母の日」とし、母親に感謝を伝えたりプレゼントを贈ったりといった活動が行われています。
日本では誰もが知る記念日のひとつですが、その発祥はアメリカ。1907年5月、アメリカのフィラデルフィアで行われたアンナ・ジャービス氏の母親の追悼式において、献花の際、母親が好きなカーネーションを参列者に配った出来事がきっかけといわれています。
娘が母親を想って起こした行動が徐々に広まり、毎年「母の日」には、母性愛を示すシンボルとしてカーネーションを贈ることが定番となりました。
5月23日 キスの日
5月23日は「キスの日」です。1946年(昭和21年)のこの日、日本で初めてキスシーンを撮影した映画『はたちの青春』が封切りされたことに由来しています。誰がいつ、なんのために制定したかは不明です。
キスシーンは、軽く唇をあわせるだけのシーンでしたが、今までの日本映画にないキスシーンは話題となり、映画館が連日満員となるほどの話題になりました。
5月23日 恋文の日(ラブレターの日) 5月23日は「恋文の日」です。 浅田次郎原作の実写映画『ラブ・レター』が1998(平成10)年5月23日に上映を開始したことから、同作品の配給会社である松竹株式会社が制定 しました。 日付は、「こ(5)いぶ(2)み(3)」と読む語呂合わせが由来。 映画のタイトルにならって、「ラブレターの日」とも呼ばれています。
6月5日 世界環境デー 6月5日は環境の日です。 これは、1972年6月5日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められたものです。 国連では、日本の提案を受けて6月5日を「世界環境デー」と定めており、日本では「環境基本法」(平成5年)が「環境の日」を定めています。 6月6日 いけばなの日 6月6日は「いけばなの日」です。 いけばな芸術の普及・発展を目的に活動する、公益社団法人・日本いけばな芸術協会によって制定 されました。 日付は、「芸事の稽古は6歳の6月6日に始めると上達が早い」という言い伝えが由来。
6月6日は、「楽器の日」「邦楽の日」でもあります。
なぜ6歳の6月6日かというと室町時代の申楽師(さるがくし)”世阿弥(ぜあみ)”は、『風姿花伝(ふうしかでん)』で「習い事をはじめるのは数え7歳(満6歳のとき)がもっとも良い」と説きました。
江戸時代になると、その考えをとりいれた歌舞伎のせりふで「6歳の6月6日」という6の続く言いまわしが頻繁に使われるようになり、いつしか、6歳の6月6日から習い事をすると上達するといわれるようになりました。 また、6という数字には、指を使って数字を数えたとき、小指が立つことから、「子が立つ」・「子供のひとり立ち」を意味する縁起の良い数字という言い伝えがあります。 6月6日 家族団らんの日
大阪読売テレビの人気番組「大阪ほんわかテレビ」において、番組の主役・笑福亭仁鶴らが中心となって1995年(平成7年)に制定。
ほんわかした空気を大切にして家族を見つめ直そうと、放送が開始された1993年(平成5年)6月6日にちなんで記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日には家族をテーマとした情報コーナーなどを設け、家族にまつわる問題を取り上げている。
「ほんわか」とは強い刺激や緊張感のないのんびりとしたさま、穏やかな雰囲気に包まれ、心が和むさまをいう。
6月12日 恋人の日 ブラジル・サンパウロ地方では、女性の守護神で縁結びの神でもある聖アントニオ(Santo António、1195~1231年)の命日の前日の6月12日を「恋人の日」として、家族や友人、恋人同士が写真立て(フォトフレーム)に写真を入れ交換し合う風習がある。 聖アントニオは、カトリック教会で、失せ物、結婚、縁結び、花嫁、不妊症に悩む人々、愛、老人、動物の聖人とされている。教会博士の一人。その命日は1231年6月13日とされており、6月13日は記念日でもある。
1823年(文政6年)のこの日、オランダ商館医となるドイツの医師シーボルト(Siebold、1796~1866年)が日本に初めてピアノを持ち込んだとされる。
この「日本で一番古いピアノ」は山口県萩市の「熊谷美術館」に保存・展示されている。製造されたのは1806年(文化3年)頃のイギリス・ロンドンで、四角いテーブルのような形をしたスクエア型の小型のピアノである。足を外して持ち運ぶこともできる。
中国古代の民間伝承がもとになっています。織姫と彦星は、中国風だと織女(しょくじょ)、牽牛(けんぎゅう)。ちなみに韓国やベトナムにも七夕があります。
日本には、奈良時代に宮中儀式として伝わり、織姫が機(はた)織りの上手な働き者だった…という内容から、手芸や裁縫の上達を願う風習につながりました。星に願い事をする原型はここから始まっています。 時代が下って江戸時代になると、七夕は「五節句」の一つとされ、幕府公式の祝日でした。寺子屋などでは紙の短冊に願い事を書き、読み書きの上達を願ったようです。 鳥居清長が1795年ごろ描いた浮世絵には、いろんな形の短冊が描かれていますね。
ちなみに七夕と書いて「たなばた」と読むのは、日本では古来、神事などに使う高貴な布を織る行為をたなばた(棚機)と呼んでいたため。本来なら「しちせき」と読む外来語に、「たなばた」という大和言葉を当てたようです(他にも諸説あります)。
1987年(昭和62年)に全日本ギフト用品協会が制定。 同協会が社団法人化されたことを記念したもの。 七夕は織姫と彦星が年に一度出会う日ということから7月7日とした。
1991年(平成3年)に全国化粧品小売協同組合連合会の中部ブロックが制定。
七夕の日に因んで「化粧品を買ってプレゼントしよう」と販売促進のために提唱した。1998年(平成10年)からは全国展開して「ラムール・エ・ネ」(フランス語で愛が生まれるという意味)キャンペーンを行っている。
「お盆」は、仏教における「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、または「盂蘭盆(うらぼん)」を略した言葉とされています。語源は、サンスクリット語の「ウランバーナ(=逆さに吊り下げられた苦しみ)」です。 盂蘭盆会は、その昔、お釈迦様のお弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)が、亡き母を救う話に由来しています。 目連尊者の母親は、子(目連尊者)を溺愛するあまり周囲の不幸に無関心だったことが原因で、餓鬼道に落ちてしまいます。 餓鬼道に落ちた母親は逆さ吊りにされ、食べるもの飲むもの全てが火となり飢えと渇きに苦しんでいました。神通力を持っていた目連尊者は、苦しむ母親を姿を目にしてお釈迦様に相談したところ、夏の修行を終えた7月15日※に僧侶たちを招き、供物をささげて供養するとよい」という教えを受けます。 これに従って供養したところ、その功徳によって母親は極楽往生を遂げたと言われています。 なお、上記は仏教の伝来によって取り入れられた風習ですが、日本各地には古来から夏時期には祖霊を祀る習慣があったとも言われています。
こうした日本古来の風習と仏教の考えが混ざり合った結果、現在の日本におけるお盆は、家族や一族が集まり、ご先祖様や故人様を偲び、供養する行事として定着しています。
1977年(昭和52年)のこの日、日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」がアメリカ・フロリダ州ケープカナベラルのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。 「ひまわり」の名前は、植物のヒマワリから来ており、常に太陽を向いているヒマワリのように、地球の方向を向いているという意味に由来する。 「ひまわり1号」は1989年(昭和64年)6月30日に運用を終えた。「ひまわり2号」以降は、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられている。
7月21日は「神前結婚式の日」です。 神前結婚式の歴史は、明治33年(1900)、当時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の御結婚の礼が皇室でも初めて皇居内の賢所の御神前で行われたことに始まります。 この御婚儀を記念して日比谷大神宮(現:東京大神宮)が1901年(明治34年)7月21日に神社では初となる一般の人に向けた神前結婚式を執り行ったことから7月21日を記念日としたもの。
ハーブを使った化粧品を販売している株式会社コスメハーブが制定。
日付は「ハ(8)ーブ(2)」と読む語呂合わせから。ハーブを美と健康づくりに生かしてもらうことが目的。また、生ハーブ・ハーブ関連商品の製造・販売を行うエスビー食品株式会社もこの日を「ハーブの日」としている。
「ハーブの日」は2016年(平成28年)にエスビー食品が制定した記念日として、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
ハーブ(herb)は、一般的に料理の香り付けや保存料・香料・防虫などに利用される、香りに鎮静・興奮などの作用がある有用植物の葉や茎を指すことが多い。同様の有用植物であっても、種子・実・根などは香辛料と呼ばれることが多い。
8月7日は、花の日です。 花の日は、「は(8)」と「な(7)」の語呂合わせが由来となります。 見頃を迎えると、美しく咲く姿と香りで私たちの心を癒してくれる花。ぜひ花の日には、好きな花や明るい花をお部屋に飾ってみましょう。
1989年(平成元年)に親孝行全国推進運動協会が制定。
「88」が「は(8)は(8)」「パ(8)パ(8)」と読める語呂合わせと、「ハチハチ」を並びかえると「ハハ(母)チチ(父)」となることから。「親孝行したい時に親はなし」というように、あとで後悔することがないように、親への感謝の気持ちを形にしたい日。
8月13日は迎え盆と呼ばれる、ご先祖様をお迎えに行く日です。 そのため13日にお墓参りをし、ご先祖様の霊を迎えるための「送り火」を焚きます。 “お盆の入り”の時はお迎えするための“迎え火”、“お盆の明け”の時はお見送りするための“送り火”を灯します。 お盆の時、仏壇などに『提灯』を飾りますが、この提灯のことを『盆提灯』といいます。 『盆提灯』は、ご先祖さまや亡くなった方の霊が迷わず帰って来るための目印として飾ります。
お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す行事で、8月13日の夕方に行われる「迎え火(むかえび)」に対して「送り火(おくりび)」と呼ばれる。「迎え火」は自宅に帰って来る先祖の霊を迎える目印として火が焚かれ、「送り火」はあの世へと戻る先祖の霊を見送りする目的で火が焚かれる。
9月9日の重陽の節句の起源は、他の節句同様中国にさかのぼることができます。 中国では奇数は縁起のよい陽の日とされ、3月3日、7月7日など奇数が重なる日を幸多い日と考えました。 中でも一番大きい陽の数である9が重なる9月9日を「重陽」と呼び、「菊の節句」として伝わりました。 中国では、菊はすぐれた薬効をもつ植物として古くから知られ、4世紀に記された書物には菊が群生している谷を下ってきた水を飲んだ村人たちが長寿になったという「菊水伝説」が登場します。 菊のエッセンスをふくんだ水を飲むと健康で長寿になれる・・そのような重陽節(重陽の節句)における菊の薬効と伝説は、海を渡って日本の平安貴族にもたらされ季節の行事の中へと定着していったのです。
コスモスは9月中旬頃に開花を迎える花です。 ホワイトデー(3月14日)から半年後にあたる9月14日に夫婦・カップルなどの間で贈り物にコスモスを添えてプレゼントし、相手に再度気持ちを伝えようという啓蒙のために制定されました。 コスモスの和名は秋桜と書き、メキシコが原産のお花です。
日付は9月30日を「0930」として「お(0)く(9)さ(3)ま(0)」(奥様)と読む語呂合わせから。同社のある長野県は女性の就業率が全国的にも高く、中でも川上村・南牧村は長野県内1、2を争うほど農業に従事する「働く奥様」が多いことから、働く奥様に日頃の感謝の気持ちを込めて花を贈る日としたもの。
敬老の日の起源は正確にはわかっていないそうですが、言い伝えとしていくつかの説があります。 1つは、聖徳太子が現在の大阪市に悲田院(ひでんいん)という身よりのない老人や病人、貧しい人たち救うための施設を開いた日にちなんで制定されたという説。 もう1つは、元正天皇が717年に年号を「養老」とし、養老の滝に御幸した日、または高齢者に贈り物をした日であるという説が有名です。 現在の敬老の日の由来は、1947年兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)の門脇政夫村長が提唱した「としよりの日」が始まりとされています。 当時、村では「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という主旨のもと、1947年から農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開くようになりました。 これが1950年からは兵庫県全体で行われるようになり、1954年には国民の祝日として制定され、全国で祝うようになりました。しかし、「としより」という呼び方はどうにかならないか、ということで各方面から異議が起こり、「老人の日」にいったん改名されました。 やがて「国民の祝日法」が改正されることとなった1966年、「建国記念の日」「体育の日」と共に国民の祝日と制定された際に、現在の「敬老の日」と名称が改められました。
バイオリン奏者のユーディ・メニューインが国際紛争が絶えないことを嘆いて、10月1日を「国際音楽の日」にすることを1975年(昭和50年)に提唱。
1977年(昭和52年)にチェコのブラチスラヴァで開催されたユネスコの国際音楽評議会(IMC)総会で制定された。英語表記は「International Music Day」。人類共通の宝物であり、世界共通の言語とも言える音楽。その音楽の意義を広く啓蒙・普及し、世界の人々の相互理解を深めることが目的。また、IMC総会では国際的連帯のもとに音楽の記念行事を催すことが決定された。
日本では、1994年(平成6年)11月に「音楽文化の振興のための学習環境の整備等に関する法律」(音楽振興法)が公布・施行されて、その中で10月1日を「国際音楽の日」とすることが定められ、翌年から実施された。音楽を通じた国際相互理解の促進に資する活動を行う日としている。
日付は「てん(10)し(4)」(天使)と読む語呂合わせから。同社の商品「天使のブラ」の1000万枚販売達成を記念して制定された。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
トリンプ・インターナショナル(Triumph International)は、スイスに本社を置き、女性用下着の製造・販売を行う会社である。1886年(明治19年)にドイツで設立され、現在では女性用下着メーカーとして世界最大規模を誇る。
その日本法人であるトリンプ・インターナショナル・ジャパンは1964年(昭和39年)に設立された。日本の下着業界で第4位に位置し、「天使のブラ」や「恋するブラ」など複数のブランドを取り扱っている。
石川県七尾市が1992年(平成4年)に制定。
1992年のこの日、七尾市で第7回国民文化祭「世界の香りフェアin能登」が開催された。香りの文化を提唱する街として、香りグッズの全国コンクールや香りを活かした商品の開発などを行っている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
島崎藤村ゆかりの宿である長野県小諸市の老舗旅館「中棚荘」(なかだなそう)が制定。
1896年(明治29年)のこの日、島崎藤村が『文学界』46号に『こひぐさ』の一編として「初恋」の詩を発表した。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
島崎藤村の『若菜集』には「まだあげ初(そ)めし前髪の 林檎(りんご)のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛(はなぐし)の 花ある君と思ひけり」という「初恋」の詩がある。
この有名な「初恋」が世に出たのが、明治29年10月30日である。これにちなんで、中棚荘では10月から5月にかけて湯船に地元のりんごを浮かべた「初恋りんご風呂」が楽しめる。
10月の第4日曜はアメリカで「義母の日」なのだそう。日本には「義母の日」という日はありませんが、アメリカでは、年 に一度、義母に感謝を伝える日があるんですね。 10月30日 ハロウィン ハロウィンは、キリスト教における「万聖節」(または「諸聖人の日」)の前夜祭として10月31日に行われる。アメリカ発祥の仮装パーティーといったイメージを持つ方もいるかもしれないが、実は2000年以上も前からヨーロッパに存在していた宗教的な祭りが起源なのです。 ハロウィンの発祥は、2000年以上も前。ヨーロッパの古代ケルト人が行っていた祭礼「サウィン(Samhain)」が起源だといわれています。 サウィンは「夏の終わり」を意味し、秋の収穫を祝うとともに、悪霊を追い払う宗教的な行事として、古代ケルト人の暮らしに根づいていました。 ケルトの暦では、10月31日は1年の終わりの日であり、現世と来世を分ける境界が弱まる時。そして、死者の魂が家族のもとへ戻ってくる日としても信じられていました。 死者の魂とともに悪霊も一緒にやってくると考えられ、その悪霊に人間だと気づかれないように、火を焚いたり仮面を着けたりして身を守ったといわれています。この風習が、ハロウィンの代表的な習慣である仮装の起源となったそうです。 ハロウィンの語源は?
土着信仰がやがてキリスト教と結びつき、キリスト教の諸聖人に祈りを捧げる「万聖節」(または「諸聖人の日」)の前夜祭として行われるようになりました。Hallowとは聖人を意味する言葉で、「諸聖人の日=All Saints’ Day」は「All Hallows」とも表記されます。 11月1日の「All Hallows」の前夜である10月31日は、「All Hallow’s Even(Eve)」。これが短くなり、訛って「Halloween」といわれるようになったといいます。正確には10月31日~11月2日とされ、この期間中、キリスト教では現世に戻ってくる死者の魂を慰める行事を行います。
「Trick or Treat(トリック・オア・トリート)」の由来は諸説あります。そのうちの一説は、死者へ供える「ソウルケーキ」をもらう「ソウリング」という中世ヨーロッパの儀式に由来するものだといいます。
現在では、ハロウィンの夜に仮装した子どもたちが近所の家々を訪ね、「Trick or Treat」とその家の大人に声を掛けます。その言葉に「Happy Halloween」と呼応した大人が、チョコレートやキャンディーなどのお菓子を子どもたちにあげるというのがハロウィンの風習です。
「Trick」は「たくらみ」や「悪ふざけ」などを意味する。「Treat」は「待遇する」「大切に扱う」「もてなす」などの意味を持つ。子どもたちは、家族のもとへ戻る死者の魂に紛れてやってきた悪霊に扮する。「Trick or Treat」とは、「悪霊にいたずらされたくなければ、お菓子をちょうだい」ということなんですね。 カブからカボチャに? ハロウィンが近づくと、街では不気味な表情が彫られているカボチャをよく見かけます。「ジャック・オー・ランタン」と呼ばれる、カボチャを用いて作られたランタンです。このランタンは一説には、ケルト人の文化が根強く残るアイルランドのある物語に由来するものだといいます。
その物語のあらすじはこうです。悪事ばかり働いていたジャックという男が、生前自分の魂を狙った悪魔と「死んでも、地獄に落とさない」という契約を結びます。。ジャックは死後、生前の行いから天国へ行くことはできず、悪魔との契約のせいで地獄に行くこともできない。行き場を失ったジャックはくり抜いたカブの中に火を灯し、今も彷徨い続けているという。
物語に登場したのはカブ。なぜ今日カボチャが定着しているのかというと、ハロウィンがアイルランド移民によってアメリカに伝わったとき、アメリカではカブよりカボチャの方が入手しやすかったことが一説。また、カボチャはカブよりもくり抜きやすく、ろうそくを中に入れやすかったという理由もあるようようです。
1983年(昭和58年)に日本紅茶協会が制定。 1791年(寛政3年)のこの日、暴風雨のためロシアに漂着した船頭の大黒屋光太夫(1751~1828)が、ロシアの当時の首都ペテルブルク(現在のサンクトペテルブルク)で女帝エカテリーナの茶会に招かれ、日本人としては初めて紅茶を飲んだ。 紅茶が日本に初めて輸入されたのは1880年代だったが、日本には緑茶があるため、すぐには定着しなかった。1952年(昭和37年)、大阪に日本で初めての紅茶専門店「MUSICA」が開店し、東京都内には1974年(昭和49年)に初めて紅茶専門店ができた。
1946年(昭和21年)のこの日、日本国憲法が“公布”されました。そして、1948年(昭和23年)に制定された祝日法(国民の祝日に関する法律)によって、戦争放棄・主権国民・基本的人権を宣言した日本国憲法に基づき、「自由と平和を愛し文化を薦める」祭日と定められ、『文化の日』と名づけられました。日本国憲法の尊重する、平和への意思を基盤とする文化を発展・拡大させようという趣旨です。
島根県の「神話の国 縁結び観光協会」が制定。後に公益社団法人「島根県観光連盟」が継承。 日付は「いい(11)ご(5)えん」(いいご縁)と読む語呂合わせから。 古くから縁結びの地として知られる出雲路。その出雲地方では神在月(かみありづき)と呼ばれる旧暦10月(新暦11月頃)に出雲大社に全国の神が集まり縁結びなどの会議が行われるとされている。記念日は一般社団法人「日本記念日協会」により認定・登録された。 「出雲大社」は「縁結びの神」として親しまれている「だいこく様」(オオクニヌシノミコト)を祀る日本有数の神社である。恋愛や結婚はもちろん、誰もが健やかに幸多く栄え、睦み合えるよう、だいこく様の縁結びの力は、神代の頃から変わりなく、多くの人に幸せを運んでいる。 その他にも、八岐大蛇退治で知られるスサノオノミコトとイナタヒメノミコトの夫婦が御祭神で祀られている「縁結び」の神社で、「鏡の池」で縁占いができる「八重垣神社」や、家族への優しい愛と様々な「ご縁」を授かることができる「牡丹観音菩薩像」、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげると妻の布枝さんが、お見合いをして5日後には結婚した「ご縁」の場所「つなぎ石」など、縁結びに関する多くの観光スポットがある。
1947年(昭和22年)のこの日、東京の多摩川河畔で集団お見合いが開催された。
結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、戦争のため婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加した。会場で相手を探し、終了後、最高3人までの身上書を申し込むという仕組みだった。
静岡県伊豆市では、11月11日を「恋人たちの日」と制定しています。 伊豆市にある恋人岬(こいびとみさき)に恋人たちが立つと、足が4つ並んで見えることから、1が4つ並んだ11月11日を記念日としました。 恋人岬は、富士山や駿河湾などを見渡せる風光明媚な観光地です。
七五三の由来は、平安時代に天皇や朝廷に仕える公家の間で行なわれていた、 3歳~7歳の儀式にあると言われています。
当時は公家では2歳、武家では3歳まで子供を丸坊主で育て風習がありました。頭を清潔に保つことで病気を遠ざけ、のちに健康な髪が生えてくると信じられていたためです。 「髪置きの儀」とは、子供の長寿を祈願するために、髪を伸ばし始めるための儀式でとされていました。
当時、5~7歳の頃に袴を初めて身に付ける「袴着(はかまぎ)の儀」を執り行いました。当初は男女ともに行っていた儀式でしたが、江戸時以降に5歳の男の子の成長を祝う儀式へと移り変わっていきました。 儀式は、天下取りを象徴する碁盤の上に立って吉方に向き、縁起の良い左足から袴を履きます。また、四方の敵に勝つという願いを込めて冠をかぶり四方の神を拝んだともいわれています。 現代の皇室でも、男女ともに袴着の儀が行なわれています。 帯解は、大人の女性へ歩み始めるために着物の付け紐を外し、初めて帯を締めてあげる儀式です。古くは、男女ともに9歳で行なわれていましたが、江戸時代になると、7歳の女の子が行なう儀式へと変化していきました。 昔は子供の生存率が低かったため、節目節目に健康や成長を祝い、年齢に応じた儀式を行いました。現代でも、子供の成長と健康を願う親心に変わりはなく、七五三という形で受け継がれてきたのです。 徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)は、もともと身体の弱い子だったそうです。そこで、11月15日に健康祈願として「袴着(はかまぎ)の儀」を行ったところ無事に育つようになったという説もあります。
1988年に財団法人余暇開発センター(現日本生産性本部)によって提唱された。その後、1998年に「いい夫婦の日」をすすめる会を設立し普及を推進しており、2000年より、毎年、広く一般からの投票を基に、理想の夫婦・カップルにふさわしい「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を選出している。
2000年代に入り、一般にも認知されるようになり、11月22日に入籍(婚姻届)する有名人なども増えている。 1988年当時の日本はバブル経済の最中にあり、政府は国民にレジャーを楽しむことを促進して経済を活性化させるという方針を進めていました。 その一環として、余暇の活動をテーマとするシンクタンク・財団法人余暇開発センターにより、「夫婦で余暇を楽しむゆとりあるライフスタイルを提案する」ことを目的に「いい夫婦の日」が定められたという背景があります。
勤労感謝の日は、もともと新嘗祭(にいなめさい)という祝祭が由来とされています。 新嘗祭とは、五穀豊穣を祝う日本古来の風習で、日本書紀にも記述が見られる我が国の伝統行事です。 元来は、収穫した農作物を皇祖や神々にお供えするという宮中行事で、現在でも11月23日になると天皇陛下が自ら新穀を神々に供え、その年に出来た農作物を召し上がるという習わしが続いています。 新嘗祭自体は全国各地に伝わる風習で、新穀が収穫される10月、11月、12月にかけて、作物への感謝を示す行事が全国各地で行われています。
それでは、なぜ宮中行事の新嘗祭が勤労感謝の日として定められることになったのでしょうか。 それは、戦後の占領時代におけるGHQの考えが起因しています。 GHQは宮中行事と国民行事を切り離す必要があると考えました。 戦前、11月23日は新嘗祭の日という休日でしたが、GHQはその日を勤労感謝の日に改め、宮中行事と切り離した祝日として定めたのです。 新嘗祭の日は明治6年に旧暦から新暦に移行する際に制定された祝日ですから、現在まで続く勤労感謝の日はいってみれば日本の祝日の中で最も長い伝統を持つ祝日のひとつだといえます。
五穀豊穣を祝う日が、なぜ勤労を感謝し合う日に変更されたのかについては諸説あります。 そのひとつが、アメリカの祝日が関係しているという説です。 アメリカでは、11月の第4木曜日に感謝祭を催す「Thanksgiving Day」という習慣があったそうです。 そこに、9月の第1月曜日に定められていた「Labor Day」労働の日の概念を加えて、「Labor Thanksgiving Day」すなわち勤労感謝の日として制定されたという説が有力だといわれています。
12月3日 妻の日
東京都千代田区神田和泉町に本社を置く印刷会社の凸版印刷株式会社が1995年(平成7年)に制定。
日付は感謝を表す「サン(3)クス」(Thanks)と読む語呂合わせから。1年の最後の月である12月に、1年間の労をねぎらい妻に感謝する日。
「妻(つま)」は、結婚している女性の配偶者を示す言葉である。妻に対して、結婚している男性の配偶者は「夫(おっと)」と呼ばれる。 結婚している男性が自らの配偶者の女性のことを他人に紹介する時などには、「妻」の他に「嫁」や「女房」「奥さん」「家内」「かみさん」などの呼び方も用いられる。「うちの奥さん」のような使い方がされる。ただし、「夫」の対義語であり、配偶者の女性の呼び方として最も適しているのは「妻」とされる。
12月13日 双子の日
愛知県豊明市に本社を置き、双子グッズの専門店である株式会社ベラミが制定。
日付は「ふ(2)たご(5)」(双子)と読む語呂合わせから。双子並びに多胎児の育児がしやすい環境づくりを考える日。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 1874(明治7)年の12月13日に、太政官から「双子の場合は、先に産まれたほうを兄・姉とする」という指令が出された出来事にちなんでいます 。 1874年まではきょうだいの決定方法が定まっておらず、地域や慣習によって異なっていました。
12月21日 遠距離恋愛の日
12月21日は「遠距離恋愛の日」です。定められた経緯の正式な記録は残っていませんが、ラジオ局のアナウンサーが提唱した、女子高生の間で都市伝説となっていたなど諸説あるようです。
日付は、12月21日=「1221」の両端の「1」を離れている恋人同士に見立て、並んでいる「22」を距離が近づき思いがひとつになった2人に見立てていることに由来しています。 遠距離恋愛の恋人たちにエールを送る日。また、遠距離恋愛中の恋人同士が、「クリスマス」前に会ってお互いの愛を確かめ合う日とされている。
12月24日 クリスマスイブ 実は、クリスマスイブは、教会や宗派によって解釈が異なるため、文化圏によっていつなのか、何を行うのかという違いがあります。 たとえば、ユダヤ教では12月24日ではなく、12月24日の日没から25日の日没までとされています。 これは、ユダヤ教では1日の変わり目が午前0時ではなく日没とされているためです。 日本をはじめとした多くの地域では、クリスマスイブは「クリスマスの日の前夜」という意味ですので、大きな違いがありますね。 クリスマスイブの「イブ」の語源は「夜」「晩」という意味の「イブニング」から来ています。 つまり、クリスマスイブは「クリスマスの夜」という意味になります。 ですから、ユダヤ教ではクリスマスイブは、12月24日の日没に日が変わりクリスマスになった当日の夜、とされているのです。 日本でも欧米でも、クリスマスイブは特別なディナーを食べたり、贈り物をし合ったりして楽しく過ごす日、という認識があります。 日本では、クリスマスイブは恋人や特別な人とデートをしたりプレゼントをしたりして楽しむ人が多いですね。 対して欧米では、家族で過ごす人が多く、また、新年も近いためクリスマスの時期は帰省シーズンになっています。 日本で例えるならお盆のような感覚、と言えば想像しやすいのではないでしょうか。 キリスト教の教会では、クリスマスイブの夜にクリスマスの礼拝(ミサ)が行われます。 キリスト教徒は、クリスマスイブの夜は教会で礼拝を行い、厳かな時間を過ごします。 最近ではクリスマスミサへの関心が高まっており、キリスト教徒以外の参加者も増えています。 信徒ではない人を対象にしたミサを行っている教会も多く、教会側も一般の人の参加を歓迎する傾向にあります。 クリスマスミサはキリスト教徒でないと参加してはいけないという決まりはありませんし、参加したからといってキリスト教徒にならないといけない、ということもありません。 12月25日 クリスマス キリスト教における、イエス・キリストの降誕祭です。4世紀頃に、キリストの降誕祭が12月25日に行われ、その後習慣化したと言われています。 とはいえ、キリストが生まれた日は新約聖書では特定されていませんので、「イエス・キリストの生誕祭」というのは正確ではありません。 そのため、ヨーロッパやアメリカでは、イエス・キリストの生まれた日をお祝いするのではなく、生まれてきたことをお祝いする日となっています。また、世界にはクリスマスがない国というのもあります。イスラエルなどのユダヤ教が盛んな地域では、クリスマスは祝いません。 同じ頃に「ハヌカ」と呼ばれる「光の祭典」が行われています。これは、12月25日頃前後が冬至の時期で、冬至を8日間かけて毎日ろうそくに1本ずつ火を灯してお祝いする、というお祭りです。 このように、国や地域、信仰する宗教によって習慣が異なり、キリスト教以外の宗教圏では、クリスマスにあまり大きな意味を持たない地域もたくさんあります。クリスマスは万国共通の季節イベントというわけではありません。 しかし、日本をはじめとした世界各地では現地の風習と融合し、さまざまな変化を遂げて現代のクリスマスになりました。 12月31日 大晦日 大晦日の「みそか」は、「三十日」が由来となっています。 現代の大晦日は12月31日ですが、太陰太陽暦の時代は12月30日でした。 この暦は今と同じ12カ月でも「大の月」と「小の月」があり、大の月は30日、小の月は29日まででした。12月(師走)は大の月です。 晦日は月の末日を意味するので、小の月では29日でも晦日と言います。そして、1年の締めくくりである12月の末日は大晦日と呼ばれていました。 大晦日は本来、歳神(としがみ/毎年正月に各家にやってくる来訪神)を迎えて祀る準備を済ませ、忌籠(いごもり/けがれに触れないように家にこもること)をする日でした。また、お盆と同様、大晦日には先祖の霊が訪れると信じられていました。 年越し蕎麦を食べる風習は、江戸時代に江戸や大坂(現在の大阪)など都市部を中心に定着したと言われています。全国的な文化になったのは戦後、メディアや流通が発達してからになります。 どうして蕎麦を食べるかは、「命が細く長く続くように」「蕎麦が切れやすいことから、1年の厄や借金を切り捨てて翌年に持ち越さないようにと願いを込めた」などの説があります。 こんな感じで色々な記念日があるんですね。 知っているだけでもちょっと自慢出来ちゃいますね。 記念日にさりげなく贈り物をするのも素敵な心使いですね。